ハースストーンを運ゲーにしないでほしい

昨今のハースストーンは運ゲーになってませんか?

そもそも私は「運要素」と「運ゲー」の違いは、互いのプレイヤーが結果に介入できるかどうかにあると考えています。
例えば、乱闘や魔力の矢は対象となるミニオンを減らしたり増やしたりする事で、自分にとって良い結果をもたらす様に介入が可能です。さらに、それだけでリーサルになると言ったこともありません。最終的なゲームの結果は、あくまでも互いのプレイングに左右されます。これはただの「運要素」です。
対して「運ゲー」は、例えば狂気のデッキやヨグサロンのパイロ、毎ターンのドローの様に、お互いが結果に干渉できない部分です。これには、特定のカードを揃えれば勝ててしまうデッキや、相手が得たカードの予測がつかないほどプールが広いもしくは回数を重ねられる発見、なども含まれると思います。
それまでの積み重ねがどうであろうと、出目が良ければ勝てるゲームへの好悪は人それぞれだとは思います。
しかしながら運ゲーの色が濃くなる事で、ハースストーンの面白みである、駆け引きという要素が薄くなってしまうのも事実なはずです。
なので私個人としては、運要素はあくまで駆け引きの添え物であって、それがメインになる様なデッキ、カードは作るべきではないと考えています。

ハースストーンの運ゲー化について皆さんはどう考えていますか?

1個の「いいね!」

我が主に喧嘩を売るとは、、旧きもの達からの相応の必罰を受けよ

そもそもハースストーンは運ゲーです。
私は吸血毒の雑なナーフ理由を機にプレイをやめましたが、少なくともその頃まではヨグの雄叫びとかラグナロスの8点とかランダムはたくさんありましたし、それで腕前や引きに多少の差があっても結果がわからない所に面白さがありました。
ちなみにこのランダム要素をほぼ排斥したのが後発のシャドウバースですが、少なくとも私が知る限りは「~を引いたら勝ち」「~を撃たれたら負け」の「~ゲー」と化してました。今は分かりませんが。

出発地点はわいわいパーティーゲーだったのに、世間がe-sportsとか持て囃したが為に競技性も重視するようになった結果こういうよくわからないゲームになったんだ、と私は思っています。最初っから仲間とバカ騒ぎするコミュニケーション中心のゲームとして進めていれば一貫性もあったのに。エモートoffもどうせ実装していないでしょう。相手を馬鹿にするエモートを搭載するようなゲームが果たしてスポーツマンシップに則っていると言えるんですかね。

まあ合わないと思ったら離れてしまうのも一つの手ですよ。私は「ローグに継続的な回復を与えるべきではない」という吸血毒の製作意図を根本から否定した挙句雑にぶっ壊れ作ってはナーフするマッチポンプ運営にはついていけなくなりました。

2個の「いいね!」